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福岡高等裁判所 昭和57年(う)481号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中三五〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岩本幹生が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

控訴趣意第一点のうち、原判示第二の航行中の航空機を墜落させる等の罪の未遂罪及び殺人未遂罪に関する訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り及び事実誤認の論旨について

一所論の要旨は次のとおりである。

(1)  原判決は、被告人が「航行中の航空機(東亜国内航空DC九型旅客機)のラバトリー内に、カセット式液化ブタンガスボンベ二二〇グラム入り三本を、キャップをはずして、便座後方の壁際に立てかけたうえ、新聞紙を床に拡げ、これに五〇〇ミリリットル入りびん詰ベンジン約一本半を散布し、これにマッチで点火し、同機の墜落・破壊及びこれによる乗務員と乗客の殺害を図つたが、乗務員らに早期に発見消火されたため、その目的を遂げなかつた」との事実を認定し、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律二条一項所定の罪の未遂罪及び殺人未遂罪の成立を認めたが、原判決には、審理不尽の違法ひいては事実誤認ないし法令適用の誤りがありその誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。すなわち、原判決は、被告人がベンジンに点火し、その燃焼によりガスボンベに引火して破裂燃焼することを前提とし、これに基づき、航空機内に有毒ガスが発生し、乗務員及び乗客の死亡並びに航空機の墜落の可能性を、また、航空機内に火災が発生し、乗客が客室前部に移動し、そのため機体の重心位置の偏位をきたし、それが安全航行のための許容限度を超えることによつて航空機の墜落破壊及び人の死亡の可能性を認定しているが、被告人が現実になしたガスボンベの設置状況、ベンジンの散布の状況、被告人のラバトリーからの脱出状況及び本件航空機の客室及びラバトリーの形状等から考察すると、ベンジンの燃焼によつてガスボンペが破裂燃焼することは絶対に生じないものであり、また仮りに、それが生じたとしても、有毒ガスの発生や重心位置の偏位により、航空機の墜落破壊や人の死亡の危険性は全くなかつたのであるから、被告人の右行為は、航空機を墜落させる等の罪及び殺人罪の構成要件の該当性を欠き、右各罪の未遂罪の成立を認める余地は全くない。しかるに、原判決は、模型機体等による模擬実験の結果をもとになされた鑑定に基づき、ガスボンベの破裂燃焼ひいては航空機内の火災燃焼及び有毒ガスの発生等の事実を認定しているが、右実験は、客室やラバトリーの型状、使用材質、気密性、ガスボンベの設置状況、ベンジンの散布量、被告人のラバトリー内における行動状況などの諸点において、犯行時の状況と異なる条件、状況のもとに実施されたもので、従つて、その実験結果はもともと証拠価値のないものであり、この点に関しては、改めて、より正確度の高い、犯行状況と同じ条件のもとに実験をやり直すなど、審理を尽すべきである。かかる措置を講ずることなく、安易に証拠価値のない前記実験結果や鑑定により有罪の認定をした原判決には、審理不尽の違法があり、ひいては事実誤認ないし法令の適用を誤つた違法がある。

(2)  仮に原判決理由説示のごとく、ガスボンベに引火してこれが破裂燃焼し、機体内に有毒ガスが発生し、あるいは乗客が機体前部に移動して許容限度を超える機体の重心位置の偏位をきたし、航空機の墜落・破壊及び人の死亡の可能性があつたとしても、被告人は、右のごとき特殊な因果関係を認識しておらず、また、右因果の過程を予測することはできなかつたのであるから、被告人にその結果について責任を問うことは許されないものというべきであり、これが責任を認めた原判決には、事実誤認又は法令の適用を誤つた違法がある。

二(1)  航空機を墜落させる等の罪の未遂罪及び殺人未遂罪の成否に関する所論について。

(イ)  そこで、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、被告人は、機内の最後部にあるラバトリー内にベンジンを散布してこれに火をつければ、その火力によりカセット式ガスボンベに引火し、これが爆発して航空機が破壊して墜落し、これにともない乗務員や乗客が死亡するであろうとの認識のもとに、原判決添付の別紙図面のごとき構造と型状をしているラバトリーの床面に、新聞紙、カセット式ガスポンベの包装材である紙ケース及び紙袋を置き、これにおよそ八〇〇ミリリットルのベンジンを散布し、さらに床面から高さ四〇センチメートルの便座台の奥の壁際に、キャップをはずし、噴出口を上方にして、ブタンを主成分とする液化ガス二二〇グラム入りのカセット式ガスボンベ三本を立て、マッチでベンジンに点火し炎上させたこと、被告人は、点火後も右ラバトリーの中にいたが、火炎による熱と死の恐怖に耐えきれず、約一〇秒ないし二〇秒後にドアを開けて飛び出し、その後火災を知つたスチュアーデスが客室最後部の壁に取り付けてあつた炭酸ガス消火器で消火にあたり、それだけでは消火できなかつたので、操縦席に備え付けてあつた同種の消火器を持つてラバトリーに引き返し、これを用いてまもなく完全に消火したこと、これにより、ガスボンベに引火することなく大惨事に至ることを免れたが、ラバトリー内の一部壁面は焼け落ちて壁の内側に充填されていたグラスファイバーも一部溶解して露出し、また、他の壁面やドアの内側、床面、天井、便座や便座台なども焼損し、ひび割れたり、気泡状に盛り上がり、溶解変型するなどし、さらには、客室の後部天井がすすけるなどしたが、航空機の操縦に特段の支障を生ずることなく、もよりの大分空港に緊急着陸したこと等の事実を認めることができる。

そこで、被告人の右行為が、航空機を墜落破壊させ、人を殺害する行為の実行行為に該当するかどうか、すなわち、かかる結果が発生する可能性があるか否かについて検討する。

右結果発生の可能性に関し、捜査段階において模型機体による燃焼等の実験がなされているが、これに先立ち、床面及び便座台の広さ、便座台の高さ、化粧台の高さ及び広さ、床面から天井までの高さ、ドアの大きさ型状など、本件航空機(以下実機という)とほぼ同じ原寸大で、骨組みは木製で、内外の壁、天井、床面、便座台、化粧台など、すべてカラートタンを貼つたラバトリーの模型を製作し、被告人が行つたと同様に、その便座台上の奥の方の壁際に、第一回目は一本次いで第二回目は三本の、本件犯行に用いられたのと同一商品のガスボンベを立てておき、床面に新聞紙一枚、ガスボンベの包装用紙ケース一個及び紙袋一袋をおいたうえ、これに約一、〇〇〇ミリリットルのべンジン(これも本件犯行時使用されていたものと同一の商品)を散布してこれに点火する方法で、二回実験を実施したところ、いずれの場合も、ベンジン着火後一分以内に、ガスボンベに引火して破裂燃焼したこと、次いで、ラバトリーの大きさ形状など前記と同様、実機とほぼ同じ原寸大にし、客室部分の長さ、床面と天井の高さ及び幅は実機と同寸法とし、全体の骨組みを軽量鉄骨で形成し、その外側をトタン板で覆い、ラバトリーとそれに近い客室部分の燃焼状況が問題となるところから、その部分には実機と類似したプラスチック内装材(商品名カイダック)とカーペットを張りつけてその内部を覆い、その間にグラスウールを入れて実機に近い構造とし、右以外の客室の中間部から機首部分にかけての内側は石こうボード及びトタン板を張つて模型機を製作し、右ラバトリーの便座台に前同様キャップをはずしたガスボンベ三本を奥の壁際に立て、床面に前同様に新聞紙、紙ケース、紙袋をおいて、これに前同様の五〇〇ミリリットル入りびん詰ベンジン二本のうち、一本は底から二センチメートル、他の一本は底から三センチメートルの高さまで残して(事故直後の実況見分の際、床面にころがつていたベンジン入りのびんには右の量だけそれぞれ残つていた)これを床面に散布し、遠隔操作によつてこれに点火し、ベンジン着火後一〇秒経過した時点でラバトリーのドアを開けるなどして、本件犯行時とほぼ同様の条件で被告人の行為を再現する方法で燃焼等の実験を実施したが、着火後ベンジンが内装材とともに燃え上り、着火四二秒後、四六秒後、四八秒後に三本のガスボンベが順次破裂して燃焼したこと、ベンジンは易燃性の液体で、着火と同時に激しい勢いで燃え上る性質を有しており、また本件のガスボンベはブタンを主成分とする液化ガスが充填されていて、ボンベ内の液化ブタンは、加熱されることによつてその蒸気圧が高くなり、温度が摂氏一一〇度になるとその蒸気圧は二一気圧にもなつて容器が破裂する可能性があるもので、前記模型機による実験時に測定されたラバトリー内やガスボンベ容器表面等の温度の上昇状況に照らして考察すると、ベンジン着火後ラバトリー内部の温度は急速に上昇し、これにともない右ガスボンベ容器の表面の温度も同様上昇してボンベ内の液化ブタンを加熱し、遂には耐圧温度をこえるまでに至りこれを破裂させていることが認められる。

右の事実のほか、本件犯行直後行われた、本件航空機の実況見分によると、ラバトリー内にあつた三本のガスボンベは、いずれも容器の表面が黒く焼けこげて火炎にさらされたことがうかがわれ、その内の一本は内部の液化ブタン等の温度上昇により容器の内圧が増加し、これにより、上部ドームの肩部分が伸びてカウンターシンクがなくなる塑性変形をきたしていること、及び本件容器と同一種類の容器を使用し、エアゾール試験検査技術基準に従つて容器の耐圧試験を行つたところ、加圧圧力15.5kg/cm2程度で、右の塑性変形と類似する変形状態が生ずることが観察され、液化ブタンの蒸気圧は、温度上昇が高くなるに従つて急速に増加する性質のあることなどを併せて考察すると、スチュアーデスの迅速適切なる消火活動がなされず、ベンジン等の燃焼が継続していたら、右変形したガスボンベが間もなく破裂燃焼し、続いて他のガスボンベも破裂燃焼していたことが優に推認できる。

所論は、前記模型機による実験は、模型機及びラバトリーの形状や気密性、ガスボンベの設置場所、ベンジンの散布量、被告人がラバトリーの中にいたことや脱出時の時間などの点において、犯行時の状況と異なる旨主張する。確かに、ラバトリーの形状につき便座台の奥の壁面が、実機の場合は、下部から上部天井にかけて、奥より手前ドア方面に向け、斜めに湾曲しているのに、模型機では右壁面が垂直に立ち上り、箱型となつていて、形状が異つていることは所論のとおりであるが、ベンジンの炎上にさほど影響があるとは考えられず、熱の対流に多少の影響があるにしても、狭いラバトリー内のこととて、それによつてガスボンベに与える加熱の程度が、耐圧温度に決定的な影響を与えるほど大きいとは到底認めがたく、また気密性の程度についても、模型ラバトリーの構造に照らして考察するとそれが実験結果を左右する状況ではなかつたと認められる(なお、実機の場合、ラバトリー内にエアコンディショナーによつて空気の入れ替えが行われていることをも併せ考えると、気密性の点は殆んど考慮に値いしないといえよう)。またラバトリーの型状の違いから、その容積に差異を生じ燃焼に影響を及ぼすがごとき主張もあるが、被告人がラバトリーから脱出する前に、ラバトリー内で不完全燃焼がおこつていなかつたことは明らかであり、ドアが開くことにより客室からの空気が流入し、火勢を増して燃焼が継続していたことを考慮に入れて考察すると、右所論の点や、実験に際し被告人がラパトリー内にいたことを捨象していること、及び被告人の脱出時間の多少の差異は、ガスボンベの破裂燃焼の点に関する実験結果に実質的な影響を及ぼすとは認めがたく、ガスボンベの設置場所に関する所論の点も、三本のうち真中の一本が、犯行時のそれと比べて、多少壁との間隔が広くとられ、床面に近くなつてはいるが、これとても、被告人の指示とほぼ同じ場所において行われた前記予備実験の結果並びに模型機による本実験の際におけるベンジンの火炎の状況の観察結果などに照らして考察すると、ガスボンベの設置位置の多少の差異が、実験結果に実質的影響を生ぜしめるとは認め難い。なお、実験時のベンジンの散布量が、犯行時のそれと一致することは前示のとおりである。

以上を要するに、模型機による実験に関する所論指摘の点は、実験結果やこれに基づく鑑定結果を左右するものでなく、その証拠価値は高いものというべきである。

(ロ)  次に、機内に発生する有毒ガスの状況とそれが人の生命及び航空機の航行に及ぼす影響について検討するに、関係証拠によると、ガスボンベが破裂して燃焼すると、その都度、瞬時に強い火炎が、ラバトリー内から客室側へ、天井に沿つて噴出し、ラバトリー内及びその前の通路並びに客室後部の天井付近一帯は、激しい火炎と黒煙に包まれ、これとともに高温の輻射熱も噴出し、ラバトリー内部は勿論のこと、その前の通路及び客室後部の天井や壁の各内装材あるいは、後部座席の乗客がいた場合にはその着衣にも着火燃焼し、これとともに多量の煙や煤及び有毒ガスなどを発生させ、これが客室、操縦室など機内に充満することが認められる。そして、前記模型機による実験の結果や、右模型機に使用した内装材及び本件航空機のラバトリーや客室に使用されていた内装材の燃焼実験により発生したガスの分析結果などによると、本件航空機内でガスボンベが破裂燃焼した場合には、内装材の燃焼により、ベンジン着火後一ないし二分の極めて短時間のうちに、致死量をこえる一酸化炭素及び生命に危険をもたらす濃度の塩化水素が発生し、それが客室や操縦席に充満して乗務員や乗客を死亡するに至らしめ、かつ操縦席に煙や有毒ガスが充満することにより計器類の確認や視界をさえぎられ、安全な操縦が阻害される可能性のあることが推認され、ひいては航空機の墜落・破壊をもたらし、乗務員、乗客を死に至らしめる危険のあることが認められる。その詳細は原判決理由説示のとおりである。

所論は、模型機の客室の形状が、実機のそれと異なり、両者の容積に違いが生ずること、また模型機の客室やラバトリーに使用された内装材「カイダック」はPVC系の樹脂であるのに、実機のそれはPVC系とABS系の樹脂が使用されていて、両者に違いがあることを理由に、模型機による実験結果ひいてはこれに関する鑑定の信用性を否定するが、航空機内火災によつて生ずる有毒ガスの発生状況及びその濃度に関する鑑定は、右模型機による燃焼実験の結果のみから導き出されたものではなく、模型機に用いられた内装材と実機に使用されている内装材の燃焼実験結果の比較検討、及び実機に用いられている内装材の種類とその量の検討、並びに模型機と実機の違いからくる両者の容積の差などを考慮に入れ、本件航空機で発生したであろう量を、模型機による実験結果よりも少なく、より控え目な数字になるよう配慮し、修正して有毒ガスの量及び濃度を算出しているのであつて、所論指摘の点は十分配慮されており、その鑑定結果は信用するに値するものである。

また、客室の気密性に関する所論指摘の点についても、ガスボンベの破裂燃焼の状況や、模型機による実験の観察によると、外気が客室内に多量に流入している状況がうかがえないことなどに照らすと、それが、右鑑定結果に重大かつ決定的な影響をもたらすとは認め難い。

(ハ)  さらに、航空機の重心位置の偏位とそれがもたらす航行の安全に対する危険性について検討するに、関係証拠によると、航空機が正常な飛行姿勢を保ち、安全に運行するためには、常に機体の重心位置が一定の許容範囲にあることが必要であり、この重心位置が許容範囲を超えて前部又は後部に偏位した場合には、正常な飛行姿勢を保つことができず、航行上危険であるので、機長は運行を開始する前にこれを確認することが義務づけられているとともに、それが許容範囲外にあるときには離陸できないことになつていること、航行中に重心位置の移動があり、それが許容範囲を超えることは、通常予測されないところから、操縦士はかかる場合の訓練を受けておらず、従つて、それが許容範囲を超えた場合には、着陸時に正常な飛行姿勢を保持して滑走路内に着陸することができず、地表に衝突したり或いは滑走路外に飛び出してしまうなどの危険性があること、そして本件のごとく、航空機の後部で火災が発生し、火炎、煙、有毒ガス、及び輻射熱などが噴出してきた場合には、乗客や乗務員は、これから逃れるため、座席をはなれて機首部に避難していくであろうことが、容易に推測されるとともに、これらの人々が機首部に避難してしまつた場合、機体の重心位置が前方に偏位することになることが認められ、これらの事実によると航空機は、特に着陸時において、操縦装置を制御することができず地表に衝突するなどの事故をおこす危険があり、ひいては人を死に至らしめる危険性があるといわなければならず、その詳細は原判決の理由説示のとおりである。

(ニ) しかして、犯人の行為が、構成要件に該当する結果を生じさせる可能性のある、危険な行為であるかどうかの判断は、犯人が具体的に執つた行為から、現実に結果が発生したか否かという観点からだけでなく、その構成要件条項の立法趣旨、罪質及び保護法益を考慮しつつ、その手段たる行為に用いられた物質の科学的性質上の危険性や、犯人の具体的行為の危険性を考察し、一般的、客観的に構成要件を実現する危険性(結果発生の可能性)があつたと評価できるかどうかの見地からなされるべきものと解するところ(最高裁昭和五一年三月一六日第三小法廷判決集三〇巻二号一四六頁参照)、かかる見地から、本件被告人の前示行為を考察すると、右は、本件航空機を墜落・破壊し、乗務員や乗客を殺害する可能性のあつた危険な行為というべきで、航空機を墜落させる等の罪及び殺人罪の未遂罪を構成することが明らかである。

してみると、所論のごとく、改めて実機に則した実験鑑定をしなければ事案の真相を解明できないものではなく、従つて審理不尽の違法はなく、原判決挙示の関係証拠によると原判示第二の事実を優に認定できるのであつて、証拠の取捨選択及びその判断過程に何ら誤りはなく、さらに法令適用の誤りも認められない。論旨はすべて理由がない。

(2) 因果関係の錯誤に関する所論について

被告人が、本件犯行当時、ベンジンを燃やせばガスボンベに引火してそれが爆発し、その衝撃で航空機が破壊され墜落するものと認識していたことは、所論のとおりであり、そして、被告人が、原判示のごとく、有毒ガスが発生し、あるいは航空機の重心位置が許容範囲を超えて偏位し、これによつて乗客や乗務員の死亡及び航空機の墜落・破壊を生じさせるとの因果の過程を認識せず、かつこれを予測することができなかつたとしても、前示のとおり、被告人の行為により右の結果が発生する客観的危険があり、被告人自身、自分の行為により、航空機の墜落と乗客乗務員の殺害を認識していた以上、結果発生に至る因果関係の錯誤は、犯意の成否、ひいては被告人の刑事責任に何ら影響を及ぼすものではないから、この点に関する論旨も理由がない。

控訴趣意第一点のうち、航空機の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律四条違反の罪に関する法令適用の誤りの論旨について

所論は、原判決が、被告人のベンジン持ち込み行為をもつて、同法条違反の罪の成立を認めているが、同条項に規定する「その他航空の危険を生じさせるおそれのある物件」とは、解釈上「その物自体で即座に人を殺傷し、又は物を損壊し得る性能を有する物」を意味し、本件のベンジンはこれに該当しない、というのである。

しかしながら、同法四条の規定は、航空機全体の危険の発生を事前に防止することを目的として定められた処罰規定であり、従つて、右四条に違反して危険物を持ち込んだ犯人が、同法二条所定の航空機の墜落、転覆、覆没、破壊をし、またはそのおそれのある状態を作出して、同法二条又はその未遂罪として処罰される場合には、右危険物の持ち込み行為は、同条二項の行為の予備行為であつて、これに吸収され、独立して処罰の対象にならないものと解せられる。そして、原判決は、右と同趣旨の見解のもとに、ベンジン持ち込み行為を四条違反の行為として処罰していないことが、その判文上明白であるので、所論はこの点において失当であり、その当否につき判断するまでもなく、理由がないことに帰する。論旨は理由がない。(なお、原判決の理由説示中に示されている同法四条に関する法令解釈の点について、特に誤りは認められない)〈以下、省略〉

(緒方誠哉 前田一昭 仲家暢彦)

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